2009年の創業以来、クラシカルなデザイン、美しい仕上げ、そして高度な製造技術の融合を追い求めてきた、スイス・ジュネーブ発の独立系時計ブランド、ローラン・フェリエ。その新工房を訪ね、同社が貫いてきたウォッチメイキングの哲学に触れる。
独立時計師やインディペンデントブランドが注目を集めている今、そのジャンルのなかでも僕にとって特別な思い入れがあるのが、ローラン・フェリエです。僕がまだこの仕事を始める前、自分のブログで時計について記事を書いていた頃に、初めてプレスプレビューに僕を招待してくれたスイスの時計ブランドが、ローラン・フェリエでした。
フランクミュラースーパーコピー代引き優良サイトそのときに体験させてもらったのが、ムーブメントパーツの仕上げ工程のひとつであるブラックポリッシュ。鏡のように平滑な面をつくり上げるこの技法は、わずかな角度や圧の違いで輝きが変化してしまうほど繊細で、ほんの数ミリのパーツであっても思い通りに仕上げるのは驚くほど難しく、当時の僕にとっては完全に歯が立たない作業でした。それから年月が経ち、今回僕は初めてローラン・フェリエの工房を訪れる機会に恵まれたのです。そこで目にしたのは、彼らの腕時計がいかに丁寧に、そして情熱を込めて作られているかという現場そのものでした。
バイオグラフィー
ローラン・フェリエ氏は、祖父も父も時計職人という家系に生まれた、3代目の時計師です。幼い頃から時計作りの環境に囲まれて育ったものの、本人は機械を分解して遊ぶようなタイプではなく、むしろ時計のデザインに強く惹かれていたと語っています。
ローラン・フェリエ氏が時計学校で手がけたスクールウォッチ(卒業制作)。
卒業制作の懐中時計の時点ですでに、ムーブメントには美しい仕上げや繊細な装飾が見られた。
ジュネーブ時計学校で学び、優秀な成績を収めた彼は、卒業後、スイスの名門ブランドがごく限られた学生に声をかけるなかのひとりとしてパテック フィリップに迎えられました。複数の部署で経験を積んだのち、一時はモータースポーツの世界に情熱を注ぐため、時計業界から離れます。
しかしその後、再びパテック フィリップに戻り、ケースやダイヤルといった外装部門を担当することで、時計全体のバランスや美の調和に対する深い感覚を養っていきました。
モータースポーツに傾倒していた時代のローラン・フェリエ氏(右)とフランソワ・セルヴァナン氏(左)。
二人がル・マンに出場した際に駆っていたポルシェ935 ターボ40。
ブランド設立のきっかけとなったのは、モータースポーツ時代の仲間であり、現在も共同経営者を務めるフランソワ・セルヴァナン氏との出会いでした。1979年のル・マン24時間耐久レースでは、同じチームの一員として3位入賞を果たし、いつか時計ブランドを立ち上げようと語り合ったといいます。
それから時を経て、ローラン・フェリエ氏はパテック フィリップでデザイン・開発部門の責任者にまで上り詰め、定年退職まで残りわずか3年という時期を迎えていました。穏やかな引退を考えていた矢先、セルヴァナン氏がこう告げます。「ローラン、今が最後のチャンスだ。資金もある。君の理想の時計を作ってみないか?」――この一言が、フェリエ氏の心に火を灯しました。
ローラン・フェリエ氏(右)と息子のクリスチャン・フェリエ氏(左)。
もうひとつの大きな追い風となったのが、息子であるクリスチャン・フェリエ氏の存在です。当時、ロジェ・デュブイでムーブメントコンストラクターとして活躍していた若きエンジニアであり、父であるローラン氏もその設計能力に一目置いていました。
こうして、ムーブメント設計を担うクリスチャン、外装とデザインを統括するローラン、そして資金と経営を支えるフランソワ。三者の役割が見事にかみ合った理想的なチームが生まれ、ローラン・フェリエ氏は、自身の名を冠したブランドを立ち上げる決意を固めたのです。
ローラン・フェリエ ガレ クラシック トゥールビヨン ダブル スパイラル。
こうして2009年、ローラン・フェリエが誕生しました。翌2010年には、ふたつのヒゲゼンマイを備えたガレ クラシック トゥールビヨン ダブル スパイラルをブランド初のモデルとして発表。新鋭ブランドながら、その年のGPHG(ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ)でメンズウォッチ賞を受賞するという快挙を成し遂げました。その後も評価は高まり、現在までに通算5度のGPHG受賞を果たしています。
ローラン・フェリエ公式サイト(英語版のみ)
プラン・レ・ワットの新工場
この建物の4階全フロアがローラン・フェリエの新たな製造拠点。
ブランドの成長にともない、それまで使用していた工房が手狭となり、2025年、ローラン・フェリエは現在のジュネーブのプラン・レ・ワットに新たな工房を構えることになりました。以前の工房は、ブランド設立当初からの愛好者であり、残念ながら交通事故で亡くなったある顧客の遺族から託された一軒家を使用していたものです。その顧客がローラン・フェリエの時計を深く愛していたことを知っていた遺族が、「ぜひこの家を使ってほしい」と申し出たことがきっかけでした。
しかし、ブランドが拡大するにつれ、より高度で本格的な製造環境が求められるようになり、新工房の建設が決断されました。この新工房は、時計師たちが持てる技術を最大限に発揮できるよう、細部まで綿密に設計されています。その設計には、製造部門のチーフであるバジル・モナ氏も深く関わっており、現場の視点が反映された理想的な空間が実現されています。
組み立て部門
ローラン・フェリエの工房で何よりも驚かされたのは、時計師一人ひとりが1本の時計を最初から最後まで担当しているという点です。プレアッセンブリー(仮組み)から本組み立て、調整、装飾に至るまで、すべての工程が一人の時計師の手によって行われているのです。職人にとってのやりがいや責任感を高めると同時に、結果として製品の品質を大きく引き上げています。また、工程全体を通して作業することで一貫性と精度が確保され、細かなニュアンスへの理解も深まっていきます。
たとえば、ある工程でネジをやや強く締めすぎたとしても、同じ時計師が他のムーブメントとの比較を通じて最適な力加減を体得できるため、経験を積むごとに完成度が高まっていくのです。さらに、この工房では通常2〜6本単位で作業が行われており、同一作業を繰り返すなかで微細な感覚の調整が可能になり、技術の熟成にもつながっています。こうした精密な作業を支えるため、あらかじめ緻密に準備されたアッセンブリーキットが用意されており、各時計師の作業テーブルには必ず詳細な作業書が備えられている点も印象的でした。
アッセンブリーキット。
テーブルには仕様書が置かれている。
加えて、ここではダブルアッセンブリー(二度組み)という手法も採用されています。まず最初に各パーツの注油が行われ、すべての歯車やルビーの石留め、テンワの調整といった工程を経て動作確認を行い、その後いったんすべてを分解。パーツを超音波洗浄機で徹底的に洗浄し、新しいオイルを注油してから本組み立てへと移ります。初回の摩擦で生じる微細な金属粉や、目に見えないレベルのチリを完全に取り除くことで、最終的な滑らかさ、耐久性、そして精度を最大限に引き出すことができるのです。
この一連のプロセスを目の当たりにして、ローラン・フェリエの時計が持つ高い品質が、こうした丁寧で妥協のない手仕事の積み重ねによって支えられていることを、あらためて実感しました。